こんにんちは。
アラフォー独女のMOMOです。(プロフィールはこちら)
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今回は瀬戸内寂聴さんの本「その日まで」のご紹介です。
「その日まで」は2021年11月に99歳で亡くなられた瀬戸内寂聴さんの最期の長編エッセイです。
このエッセイは2018年8月~2021年6月まで、「群像」で連載されました。
瀬戸内寂聴さんは亡くなられる5ケ月前まで執筆されていたことに驚きます。
私がこの本を手にとったきっかけは、親しくしているマダム(80代)から、この本を頂いたからです
コロナ以来、外出する機会が減り、以前にもまして熱心に読書するようになったというマダム。
マダムが読んだ本のうち、何冊か私に与えてくださいました。
その中の一冊が瀬戸内寂聴さんの「その日まで」です。
瀬戸内寂聴さんのエッセイを読むのは今回が初めてでした。
正直、この本をマダムからすすめられた時は…
40代の私とは世代的にかなり離れている寂聴さんの本を、なぜマダムはすすめたのかしら?
これってよくある自己啓発本の類なんじゃない?
自己啓発本があまり得意ではない私は、少しためらいながら読み始めました。
しかし私の予想に反して、ページをめくる手がスイスイとすすみます。
そこには自己啓発本にありがちな、「人生はこう生きろ!」的な押しつけがましさは微塵もなく、
すっと寄り添うような寂聴さんの軽快な語り口は、死生観すら重たく感じさせません。
ペン一筋に生き抜いた、瀬戸内寂聴さんの最期のエッセイ「その日まで」。
ご興味のある方にお読み頂ければ嬉しいです。
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この記事はこんな人におすすめ です♪
- 本・読書が好きな人
- 瀬戸内寂聴さんのエッセイに興味がある人
- 99年の波乱万丈な人生を生き抜いた女性の人生に興味がある人
瀬戸内寂聴さん最期のエッセイ「その日まで」
- タイトル 「その日まで」
- 著 者 瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう)
- 出 版 社 講談社
- 発 行 日 2022年1月11日
瀬戸内寂聴さんとは?
- 天台宗の尼僧・俗名:晴美(はるみ)
- 大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた日本の小説家
- 代表作は、『夏の終り』『花に問え』『場所』『源氏物語』など多数
- 私生活では25歳の時に夫の教え子と不倫をし、夫と娘(3歳)を残し出奔。後に小説家となる
作品紹介
99歳、最期の長篇エッセイ。
切に愛し、いのちを燃やし、ペン一筋に生き抜いた。70余年にわたる作家人生の終着点。
「結局、人は、人を愛するために、愛されるために、この世に送りだされたのだ。
充分、いや、十二分に私はこの世を生き通してきた。」
三島由紀夫、萩原健一、石牟礼道子ほか、人生でめぐり逢った忘れえぬ人々、愛した男たち、そして家族の記憶。99歳まで現役作家としてペンをふるった著者が、自らの老いに向きあい、「その日」をみつめて綴りつづけた、最後の自伝的長篇エッセイ。
講談社BOOK倶楽部より
「その日まで」は2018年8月~2021年6月まで、「群像」で連載された20編のエッセイで構成されています。
上記の他にも、寂聴さんと交流があった様々な人々との回想が描かれています。
- 流政之(彫刻家・作庭家)
- 里見弴(作家)
- 瀬戸内敬治(寂聴さんの甥)
- 田辺聖子(作家)
- 江藤淳(文学評論家)
- EXILEのATSUSHIとTAKAHIRO
- 津島佑子・太田治子(両者とも作家であり、太宰治の娘) 他
エッセイを読んで初めて名前を知った著名人の方も多く、その度にスマホで検索しながら読み進めました
感想
- 知らなかった過去の著名人や市井の人々を知る喜び
- 人生をもっと俯瞰的にとらえる「死は、何よりいさぎよい清算である」
知らなかった過去の著名人や市井の人々を知れる喜び
読書の醍醐味は「知らなかったことを知る」ことだと個人的に思っている私。
「その日まで」は寂聴さんの99年間の人生の中で出会ったさまざまな著名人、あるいは家族の記憶が描かれています。
私がとくに心に残ったのは、寂聴さんの甥の瀬戸内敬治さん(姉、艶の息子)の死に際したときの回想です。
「三人寄れば、どうして、いつもこないわらうんだろ」
私はまだ笑いすぎて出るしゃっくりに、声をあえがせながら言った。
「ほんまに」
「気が合うからじゃ」
姉と敬治が同時に言った。
夢からさめて、私はすぐ徳島の生家に電話をした。
(「その日まで」p66‐67より)
敬治さんの死を通して描かれる寂聴さんの家族の歴史に、戦争という激しい時代を生き抜いた、
市井の人々の生き様やたくましさ、愛情を垣間見ることができたからです。
人生をもっと俯瞰的にとらえる「死は、何よりいさぎよい清算である」
「その日まで」の帯にも書かれている寂聴さんのことば。
「結局、人は、人を愛するために、愛されるために、この世に送りだされたのだ。
充分、いや、十二分に私はこの世を生き通してきた。」
晩年の寂聴さんが辿りついた、この境地に我が身を振り返ってしまった私…
「どれだけ人を愛し、愛されたか」という寂聴さんのことばに、
家族を含めた身近にいる人との付き合い方を、改めて考えさせられました
さらに私が印象に残ったのは以下の部分です。↓
人は生まれて以来、常にひとりだと想っている。
あの世でもひとりだと、釈迦やキリストもつぶやいている。
愛執も怨みも、この世で生まれたものは、この世で終わりなのではないだろうか。
死は、なによりいさぎよい清算である。
私は今夜もまた―まだ死にそうもない―と、ぶつくさ、ひとり言いながら、眠りに落ちてゆくのだろう。
そして、明朝、また、業罰として目を覚ますことだろう。
(「その日まで」p105‐106より)
今、生きて感じ、悩み、苦しみ、もがいている全てのことは、この世で生きた一瞬の出来事にすぎず、
それは死によって清算される。
もしそうなのだとしたら、今の苦しみも、今後おそってくるかもしれない苦しみや悲しみも、
最期にはすべて無になる
そう考えると、生きることをもっと俯瞰的にとらえられるような気がしたからです。
おわりに
さて、今回は80代のステキなマダムから頂いた瀬戸内寂聴さんの「その日まで」をご紹介しました。
4人のご子息を立派に育てたマダムとの交際は、私が30代、マダムが70代の頃から始まりました。
以来、女のお子さんを持たなかったマダムは、私を娘のように可愛がってくださいます。
聡明で思いやりあふれるマダムは、私にさまざまなものを与えてくださいました。
マダムの人に対する思いやりや気遣い、美しい言葉使いなど…
マダムから与えられた、同世代の友人との付き合いでは決して得られない、経験と影響は私の何よりの宝物です。
寂聴さんのことばのとおり、
「人は、人を愛するために、愛されるために、この世に送りだされた」
のだとしたら、人生の中途で思いがけず与えられたステキなご縁に感謝しながら、
日々を生きぬきたいと思う今日この頃です。
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