人間関係の悩み「力になりたいけど依存されるのが怖い」人付き合いで大切なのは?

人間関係・体験談

こんにんちは。

アラフォー独女のMOMOです。(プロフィールはこちら)

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力になりたいけど、依存されるのが怖い

家族や親しい人からのヘルプにこんな気持ちになることがあります。

「力になりたい」と強く思うと同時に、

「依存されたらどうしよう」という不安があり、

2つの感情のはざまで揺れてしまうのです。

親しい人との関係は、少しのきっかけで変わることがあります。

近づきすぎて思わぬトラブルを招いたり、互いに依存し合ったり…

それは恋人や友人・同僚はもちろん、家族や親せきでも同じことです。

人付き合いで大切なことって、何だろう?

今回は私が実際に体験した、とある親しい人との関係についてのお話です。

人付き合いに悩んだり迷ったりしながら、

人間関係で大切なことはなにか?

そんなふうに悩む方々のご参考になれば嬉しいです。

年齢差は40歳。尊敬する80代の友人の存在

第2の母のような存在

私の友人のひとりに年齢が40歳はなれたA夫人がいます。

正直いって40歳も年齢がはなれたA夫人を「友人」と呼ぶのは違和感がありますが、

A夫人は「私のお友達」と私を可愛がってくださいます。

3人の息子さんを立派に育て上げたA夫人ですが、実の娘がいません。

そのせいかA夫人は私との交流をとおして「母娘の疑似体験」をされているようです。

私も実母とは正反対の性格のA夫人を第2の母のように感じています。

分かりやすくいうと「嫁と姑」の関係に近いです

ただし私は独身で本当の嫁ではないので、互いの生活には干渉することはありません

40歳年上の友人。出会いから現在まで

A夫人と出会ったのは今から約15年前。

親しく付き合うようになって10年ほどになります。

当初は私が勤めていた職場のお客様(A夫人)と店員(私)の関係でした。

私の退職後に、ふとしたきっかけで個人的な付き合いがはじまりました。

一緒にお茶をしたり、買い物をしたり、ときにはA夫人のご自宅に伺ってお話をすることもあります。

そんな感じで気がつけば知り合って15年の歳月がすぎました。

近づきすぎて負担に感じた過去

だけどA夫人との関係が始まった当初は、近づきすぎて負担に感じることもありました

折り目ただしく、清く真面目なA夫人。

尊敬する反面、長く一緒にいると疲れてしまうのです。

老人特有の一方的なお喋りが続くことが多いのです。さらに…

「ね、そうでしょ?」「あなたもそう思うでしょ?」と、

会話の途中で何度も同意を求められることに、辟易するようになりました。

私を娘のように可愛がってくださることを嬉しく思う反面、

次第に価値観を押し付けられていると感じるようになったのです。

親しくなるにしたがって負担を感じるようになった私は、少しずつ会う回数を減らしていきました。

それでも関係をやめなかったのは、A夫人の優しいお人柄を尊敬していたからです。

年齢差が離れた人間関係は、同世代の付き合いでは決して得られない視点や気づきがあります

以来、ほどよい距離を保つことを意識し、40歳も年が離れたA夫人と良い付き合いを続けてきました。

40歳年上の友人からのヘルプ

人に迷惑をかけることを何よりも嫌うA夫人。

そんなA夫人から初めて私に明確なヘルプを求められたのは、

自宅で介護を続けていたご主人の長期入院が決まったときでした。

60年以上一緒に暮らしてきたご主人の不在が、彼女の心に大きな影を落としたのです。

80代で初めて経験する独り暮らし。

「夕方、買い物を終えて誰もいない家に帰るのが辛い」

いつも気丈なA夫人が珍しく混乱していました。

初めて見るA夫人の弱い姿でした。

「今までより、こまめに連絡をくださると嬉しいわ」

と、控えめながらも彼女は私に言いました。

助けを求められているとハッキリ感じた瞬間でした。

2つの感情のはざまで揺れる

「力になりたい」と強く願う純粋な気持ち

「力になりたい」

「私にできることは、何でもしたい」

いつも気丈なA夫人からのヘルプに、心からそう思いました。

と、同時に不安がよぎります。

近づきすぎてA夫人との関係を負担に感じた過去を思い出したのです。

「依存されている」と感じたこともあったからです。

「依存されるのが怖い」すべてを受け止められない自分

私は自己犠牲愛を良しとしない考えを持っています。

若い頃の私は自己犠牲愛に陶酔しているところがありましたが、今は違います。

ですから「自分を犠牲にしてまで人のために生きられる器ではない」と、

私自身がよく理解しているのです。

「また依存されたらどうしよう…」

そう思うと力になりたい気持ちにブレーキがかかってしまうのです。

「私はどうしたいの?」自分の感情に素直になってみる

助けを必要としている友人の心に寄り添いたい

「力になりたいけど依存されるのが怖い」

相反する2つの感情の狭間でゆれ、自分がどうしたいのか分かりませんでした。

人付き合いで大切なことが何か分からなくなってしまったのです。

「私はどうしたいの?」

怖れや邪念をふり払い、自分の心に静かに問いかけます。

「あなたは、どうしたいの…?」

…するとやはり出てくる答えは同じでした。

「A夫人の心に寄り添いたい」

自分の感情に素直になって行動しようと決めました。

起こるかも知れないことは、起きてから考えよう

依存されるのが怖いと感じる心が無くなった訳ではありません。

ただ違うのは「起こるかも知れないことは、起きてから考えよう」と、開き直れたことです。

自分の感情に従って行動したその先に、トラブルが待ち受けていたとしても、

まだ起きてもいない未来を怖れて何もしないのはやめようと思いました。

そんなことを考えながら、私はA夫人にメッセージを送りました。

おわりに(人を助けたつもりが、実は自分が助けられていた)

で、結局どうしたのかと言うと、A夫人からのヘルプがあった直後はこれまでよりも頻繁に会うようになりました。

一緒に食事をしたり、お茶をしたり…

A夫人の話を聞きながら、何気ない時間を過ごすなかで私は気がつきました。

人を助けているつもりが、実は自分が助けられていた

ある日、一緒に食事をしながら、すっかり食が細くなったA夫人が呟きました。

「一緒にご飯を食べれてよかったわ…」と。

とても嬉しそうに食事をするA夫人の姿をみて、私は大きな幸福感に包まれたのです。

それはその日のA夫人がとても嬉しそうだったこや、痩せてしまったA夫人が食べる姿をみて私も安心したせいかもしれません。

「自分のしたことが誰かに喜んでもらえるって、こんなに幸せなことなんだ…」

なんてことに、改めてきづかされたのです。

この先にどうゆう展開が待ち受けているのか分かりませんが、

ちょっと鷹揚にかまえて、自分の気持ちに素直に従ってみるつもりです。☺

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ここまでお読みいただいてありがとうございます。

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